何度も見る夢の話

忘れられない夢の話

私には、どうしても忘れられない夢があります。と言っても、実際にあった出来事が繰り返し夢に出てくるのです。

私がまだ20歳の頃、カメラマンの専属アシスタントになったばかりのときの話。まだフィルムカメラが主流だった時代です。ある日、横浜のコスモワールドという遊園地で、ワークウェアのカタログ撮影がありました。外国人モデルのがワークウェアを着て、遊園地の係員や掃除スタッフをイメージして撮影する、という内容でした。

撮影現場はとにかく大変!

そのとき使ってたカメラは3種類。大きく使う写真用の6×7サイズ、メインではないカット用の6×4.5サイズ、そして一般の方が最も馴染みのある一般的な35mmフィルムを使うカメラ。フィルムの種類も、発色重視とか色再現重視とかで分かれていて、それぞれ設定も変えなきゃいけない。今みたいにデジタルでパッと確認できる時代じゃなかったので、撮影のたびに「番記」というデータを全部手書きで記録するんです。

しかも、機材を運ぶのはもちろん、三脚の高さ調整、レンズ交換、レフ板の位置決め、カメラの設定やテスト撮影…一つ一つが細かい作業の連続。天気が変わったらそのデータも全部記録する必要があり、とんでもなくハードな仕事なのです。

兄弟子とのやりとりがさらに大変…

そこに加えて、兄弟子とのやりとりがさらに私を追い詰めました。撮影の前に明るさを測るのですが、そのやり方が師匠と兄弟子で違うのです。師匠に従えば兄弟子に文句を言われ、兄弟子に合わせれば師匠に怒られる。もう、どうしろと…。

結局、師匠の前では師匠のやり方、見てないところでは兄弟子のやり方…という感じで、両方に合わせようとましたが、そんな器用なことはアシスタントになりたての私には無理でした。

パニックの瞬間

とうとう、頭がパンクしました。次に撮影するフィルムが何本目かとか、天気が変わったタイミングも覚えていなければいけないことがいっぱいあったのですが、ちょうど観覧車の下で師匠に「早くしろ!」って怒られた瞬間、完全に飛んでしまいました。

結局、兄弟子に素直に状況を伝えたところ、兄弟子が全て覚えていたので結果として乗り切りましたが、あのときの焦りとプレッシャーは、今でも鮮明に覚えています。

トラウマの夢

それ以来、横浜での撮影がある前日には、観覧車の下でパニックになる夢を見るようになりました。独立してから10年以上経っても、ずっとその夢に悩まされました。最近は少し減りはしたものの、今でもたまに見ます。

夢への興味

こんな経験があって、私は夢に対して特別な興味を持つようになりました。この夢は過去のトラウマが原因かもしれませんが、夢というものの存在感の大きさは無視できません。

みなさんは、何度も見る夢や気になる夢はありますか?もしよければ教えてくださいね!

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